Monthly Archives: July 2011

和のこころ

待ちに待った夏です。 梅雨明け宣言はまだですが、私の地元大磯町では先日3日に海開きをしました。 ちなみに大磯海水浴場は日本で最初の海水浴場です。 西の湘南”西湘”とも呼ばれる大磯町では、海開きの日に御神輿を担ぐのですが、 なんと、その御神輿は海の中まで入っていきます。 普段は神輿に上がる事は禁止されていますが、 海に入る時だけは許されます。 御渡りとか渡御(とぎょ)とも言う神事なのですが、 それはそれは、海男衆の群雄割拠。負けじと海女衆の狂乱麗舞。 例年の私であれば海の家でちょっと一杯しているところですが、 今年の私は、縁あって群雄割拠の仲間入り。 先祖代々祭り好きの血が騒ぎに騒ぎました。 海水を含んだ重量級の御神輿で肩はパンパンになり、 大声で掛け声を出し続け喉はガラガラになってしまいました。 湘南の神輿は「どっこい神輿」とも呼ばれ、 「どっこいどっこい」「よーいよいと」「そーらきた」などの掛け声と、 「甚句」を謳いながら担ぐという特徴があります。 大磯を謳った大磯甚句もあり、「地の句」にふさわしい素晴らしい詩たちです。 今年の海開きの様子です。右の神輿のどこかに私がいます。 海から上がって最後のクライマックスのところです。 実は、、、大磯町のお祭りはこれで終わりではありません! 7月17日に大磯高来神社の夏季例大祭本宮が本番です。 祭り好きな大磯地元衆は今からソワソワしております。 17日早朝から高来神社の御神輿「高麗権現」を各町内で担ぎ渡し、 昼ごろに大磯照ヶ崎へと浜降りします。 「高麗権現」を先頭に各町内13基の御神輿が次々と浜降りをする姿は、 本当に圧巻です。 午後は「高麗権現」を順々に町内を担ぎ戻し、高来神社へと帰ります。 私の町内「山王町」は、早朝1番手と高来神社へ戻る最後の担ぎ町になります。 今年は、私よりも祭り好きな家内と息子も参加するので、 例年以上の盛り上がりは必至です。 また、隔年(2年に1回)で「大磯御船祭」となるのですが、 この祭りがこれまたスゴイ事になります。 御船祭は大磯町指定民俗資料無形文化財に指定され、 「かながわの祭り50選」にも挙げられている夏祭りで 二艘の船形の山車(マツリブネ)が大磯各町内を曳かれ照ヶ崎へ浜降りします。 このお祭りの由来は、 昔々、大磯浦の漁夫「蛸之丞」 ( たこのじょう … Continue reading

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ヤスリ3年旋盤3日

私たちにとって、もっとも重要で大切な道具「ヤスリ」。漢字では鑢と書きます。 このヤスリを使いこなす事が出来て、「やっとスタートラインに立てた」というくらいに重要です。 題名の言葉は誰が言ったのかは知りませんが、それくらいヤスリを覚えるのは時間のかかる事。 私がヤスリを持ったのが、恐らく3歳くらい。 幸一郎と清明の作業場を「遊び場」にしていたようで、ヤスリも遊び道具のひとつだったのでしょう。 ザッザッザッザッザッ、トントン、ザッザッザッザッザッ、トントン、・・・・ モノを削る音と、独特のリズム。 幸一郎は、「ヤスリがけが出来ないのは職人じゃない」と公言しており、 私がフルート制作に向き合った時にも、徹底的にヤスリがけをさせられました。 ヤスリでキィを削る音を、それこそお腹の中にいるときから聞いていたわけで、 違和感なくヤスリを使っていましたが、改めて「制作の為のヤスリがけ」を一から始めました。 朝から晩まで延々とブリチャルディキィ(洋銀製)を削りまくった結果、 数日で右手の人差指は腫れあがり、痛くて箸が持てないほどでした。 大事なのは、平らに削る事は当然でヤスリを通して金属の状態を感じる事。 なかなか幸一郎のOKが出ないまま数カ月、その日は突然やってきました。 右手人差し指の痛みも無くなった頃、なぜか急に出来るようになったのです。 平らに削れるし、曲線も均一にかけられる。今、キィの厚みがだいたい何ミリで、 あと何ミリ削れば良い。などなど。その日を境に、それらがわかるようになりました。 清明も同じ経験をしました。 中学を卒業後、上京してフルート制作をする事になったのですが、 ヤスリなんて使った事もなかった為に大変な苦労をしたようです。 それこそ、年単位の修行だったと。削ったキィの量は、一斗缶いっぱいだったと。 清明にもその日は突然やってきました。 指の痛みはとうに消え、若干人差し指が曲がってきたような気がしてきた頃、 すべてが出来るようになりました。 じゃあ幸一郎はというと、 幸一郎の生まれ育った鹿児島県山川町(現・指宿市山川)は鰹節が主な産業。 家では鰹の捕れない時期に、家族で珊瑚細工をしていたらしく、 その時にヤスリを使って珊瑚を整形していたそうです。 小さいうちからヤスリを持って仕事をしていたので、 大人になってヤスリがけを覚える必要はありませんでした。 今では難なく扱えるようになったヤスリですが、 実は体調や気分によってかかり具合の良し悪しが出ます。 意外と繊細。 また、当時は思いもしなかったヤスリがけの効果がいろいろあります。 フルートを制作するのに必要な工作機械、旋盤やボール盤、フライス盤などがあるのですが、 それらを操作する時にもヤスリで養った感性、感覚が活かされています。 また歌口を削る時に使うキサゲも難なく扱えました。 ヤスリがけが出来なくても楽器は作れると思います。 今ではなるべく手をかけない事を優先している風潮もありますが、 … Continue reading

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ホームページ開設にあたりまして。

まず最初に、 東日本大震災により被災された皆さまの一日も早い復興をお祈りしております。 犠牲になられた方々そしてご遺族の皆さまに深くお悔やみを申し上げます。 桜井フルート制作所の桜井秀峰です。 私たちのHPにお越しいただき、本当にありがとうございます。 「桜井フルート制作所」のHPを作成するにあたって、 私自身もいろいろな事を想像し、考えました。 懇意にしていただいている奏者の方たちからは、 「嬉しいけど、ちょっと残念」という複雑な感想もあったりして。。。 このまま謎のメーカーで行こうかとも思ったのですが、 親父・幸一郎が鹿児島南端の漁村から無一文で上京し、 がむしゃらにフルート制作に向き合ってきた「軌跡」を残そうと想ったのが、 HP開設の一番の気持ちでした。 自前のカタログすら無いメーカーでしたので、 どんな表現が良いのか試行錯誤の日々・・・。 それに親身に付き合ってくれたdouble-dot-designのあつしとおぎん、 本当にありがとうございます。 彼らとは、私が心の師を仰ぐ建築家丸山欣也氏を通じて知り合い、 一緒に苦楽を共にした戦友でもあります。 彼らとどのようなHPにしようかと雑談も交えながら思案していた頃、 「桜井フルートで演奏をしている方たちって、皆さん想いがあって、物語がありますね」 という感想があり、今まで靄のかかっていた道が一気に晴れ渡りました。 そして、【STORY】を中心軸においたHPにしようと決定したのです。 桜井フルートと奏者の【STORY】はもちろんの事、 私たちがいろいろなフルートを制作するに至るまでの【STORY】も存在します。 それらを少しずつでも残して、そして紡いでいこうと思った次第です。 今後も【STORY】は増え続けます。 このHPをご覧になっている桜井フルートを吹いている奏者の皆さま。 ぜひ、あなたの【STORY】を教えてください。 それが、桜井フルートが存在している証明にもなり、財産でもあります。 まずはご一報いただけましたら嬉しいです。 最後に、HP開設にあたり沢山の方々にご尽力をいただきました。 【STORY】にご協力いただいた、 茨城のM.Aさん 茨城のH.Sさん 千葉のA.Sさん 長野のY.Fさん 大阪のK.Sさん 岡山のM.Tさん 元気娘のN.Fさん … Continue reading

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