ヤスリ3年旋盤3日

私たちにとって、もっとも重要で大切な道具「ヤスリ」。漢字では鑢と書きます。
このヤスリを使いこなす事が出来て、「やっとスタートラインに立てた」というくらいに重要です。
題名の言葉は誰が言ったのかは知りませんが、それくらいヤスリを覚えるのは時間のかかる事。

私がヤスリを持ったのが、恐らく3歳くらい。
幸一郎と清明の作業場を「遊び場」にしていたようで、ヤスリも遊び道具のひとつだったのでしょう。
ザッザッザッザッザッ、トントン、ザッザッザッザッザッ、トントン、・・・・

モノを削る音と、独特のリズム。

幸一郎は、「ヤスリがけが出来ないのは職人じゃない」と公言しており、
私がフルート制作に向き合った時にも、徹底的にヤスリがけをさせられました。
ヤスリでキィを削る音を、それこそお腹の中にいるときから聞いていたわけで、
違和感なくヤスリを使っていましたが、改めて「制作の為のヤスリがけ」を一から始めました。
朝から晩まで延々とブリチャルディキィ(洋銀製)を削りまくった結果、
数日で右手の人差指は腫れあがり、痛くて箸が持てないほどでした。
大事なのは、平らに削る事は当然でヤスリを通して金属の状態を感じる事。
なかなか幸一郎のOKが出ないまま数カ月、その日は突然やってきました。
右手人差し指の痛みも無くなった頃、なぜか急に出来るようになったのです。
平らに削れるし、曲線も均一にかけられる。今、キィの厚みがだいたい何ミリで、
あと何ミリ削れば良い。などなど。その日を境に、それらがわかるようになりました。

清明も同じ経験をしました。
中学を卒業後、上京してフルート制作をする事になったのですが、
ヤスリなんて使った事もなかった為に大変な苦労をしたようです。
それこそ、年単位の修行だったと。削ったキィの量は、一斗缶いっぱいだったと。
清明にもその日は突然やってきました。
指の痛みはとうに消え、若干人差し指が曲がってきたような気がしてきた頃、
すべてが出来るようになりました。

じゃあ幸一郎はというと、
幸一郎の生まれ育った鹿児島県山川町(現・指宿市山川)は鰹節が主な産業。
家では鰹の捕れない時期に、家族で珊瑚細工をしていたらしく、
その時にヤスリを使って珊瑚を整形していたそうです。
小さいうちからヤスリを持って仕事をしていたので、
大人になってヤスリがけを覚える必要はありませんでした。

今では難なく扱えるようになったヤスリですが、
実は体調や気分によってかかり具合の良し悪しが出ます。
意外と繊細。

また、当時は思いもしなかったヤスリがけの効果がいろいろあります。
フルートを制作するのに必要な工作機械、旋盤やボール盤、フライス盤などがあるのですが、
それらを操作する時にもヤスリで養った感性、感覚が活かされています。
また歌口を削る時に使うキサゲも難なく扱えました。

ヤスリがけが出来なくても楽器は作れると思います。
今ではなるべく手をかけない事を優先している風潮もありますが、
私たちはヤスリをかけ続けるでしょう。
この感覚はかけがえのない感覚です。

桜井秀峰

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