のストーリー

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主人公

使用楽器:管体14金製、頭部管18金製、インラインリング C足部管 キィ銀(金メッキ)93年製

フルート歴:31年

主な演奏場所:須賀川吹奏楽団(福島県須賀川市)、アンサンブル・ボナミ(春日部市)

1990年頃、高校の教員をしていた私は埼玉県高等学校音楽研究会の現地研修会(楽器製作所見学)に参加しました。その研修先が「桜井フルート」でした。私の大切な趣味でもあるフルートを作る会社という事で、とても楽しみにしていました。桜井フルートを知らなかった私は、大きな工場を想像していたのですが、実際は田んぼの中に佇む工房。でも、規模は問題ではないと後でわかりました。淡々とお話しされる幸一郎さんの言葉の中に、想像をはるかに超えるスケールの大きさを感じ、とてつもなく大きな人にお会いしているんだという事がひしひしと感じられました。時はバブル景気の末期。大量生産、大量販売という時代の常識を覆す「会社にして大きな商売をしたら良い楽器が作れなくなる」という言葉が強烈に残っています。事実この後、バブルは崩壊し世界の経済が行き詰ってしまいました。先見の明とはこの事です。本当に良いものは、じっくりと納得いくまで時間をかけて作るのだと。

仕事で訪れたのですが、幸一郎さんのお話に引き込まれて「次の楽器は幸一郎さんに作ってもらおう」と思い始めていました。しかし、他社の総銀製フルートを購入したばかりだったので、近い将来かなあと思っていました。さらにお話を伺っていると、私がもっとも敬愛するランパルさんと桜井さんは親交が深く、ランパルさんからアドバイスを受けていると聞き「桜井さんしかいない!」と確信し、その場で楽器制作をお願いしていました。幸一郎さんが楽器を見るときは私たちと接しているときと違って、怖いくらい真剣な表情になります。それを見るとやはり本当に魂を打ち込んで制作されているのだと感じました。

完成までは1年半ぐらいだったと思いますが、完成までの間に何度も工房に訪れて状況もわかっていましたし、良い楽器は時間のかかるものだと分かっていましたので長く待ったとは思いませんでした。大喜びで楽器を受取りに行くと、いつも笑顔の幸一郎さんが少し寂しそうにされていました。「娘を嫁に出すような心境なんですよ」と言って、名残り惜しむようにずっと眺めていらっしゃった姿は今でも忘れません。私は一瞬気が引けてしまいましたが、すぐに背筋を伸ばし「お預かりいたします」と申し上げました。幸一郎さんはいつも以上の笑顔で私に楽器を手渡してくださいました。

まず、楽器を見てその美しさに感激しました。特に、トーンホール周りはハンダ付けされているので管体に歪みが一切ありません。管壁はまるで鏡面のようで周りの風景を美しく映し出していました。私の笑顔も綺麗に映っていました。キィ類も精緻で立体的な仕上がり。すべてヤスリによる削り出しと聞き感動しました。

その日から私の音色探しはスタートしました。こちらの姿勢を率直に感じ取ってくれるので、工夫して吹くと相応の音に鳴ってくれるし、様々な試みにもすべて柔軟に対応してくれます。今まで吹いていた楽器は特定の音しか出なかったのですが、私のフルートは懐が深いという感じがします。家族や仲間たちは「柔らかい音だね」と言ってくれます。最近は、旧知のバイオリニストから「音が良くなった」と褒められました。自分でも倍音の響きや余韻がキラキラ輝いているのがわかってきました。これも私の音色探しにずっと付き合ってくれている私のフルートと桜井さん家族のお陰だと思っています。

そして、そんな私のフルートの音に涙を流してくれたのが、父でした。父は怪我をきっかけに寝たきりになり、さらに認知症も発症してしまいました。私の事すらわからなくなっていたようで、コミュニケーションをとる事が難しくなっていました。高校を卒業以来、家を離れて35年が経っていました。親孝行といえる事もしないまま、何も伝えられないままになってしまう前に何か出来ないかと考えたときに、ふと思いついたのがフルートの演奏でした。父の枕元で10曲ぐらい思いつくままに吹きました。それは、私が幼い頃に父がハーモニカで吹いてくれた「唱歌」でした。終わってから、「曲の題名わかる?」と問いかけた時、父が「曲はわからんけど、いい音楽だねえ」と言ってくれました。顔を見ると演奏中から泣いていたらしく、涙があふれていました。心に何かを感じてくれているのが分かって良かったと思えました。近年高齢社会と言われるようになって、父のような人が多いと聞きます。いつか自分の演奏で多くの人の心を癒し、いろんな想いを抱いてもらえればと思うようになりました。

桜井さんの工房へ初めて訪れてから20年。いつもアットホームな雰囲気で接していただいています。そして、いろいろなお話をお聞きします。ランパルさん、ニコレさん、マリオンさん、吉田雅夫さん、現役で活躍されている演奏者たち。出会いからエピソードを伺い、桜井さんが何を感じ、楽器制作に活かしてきたかを聞きました。そうかと思えば、近所の中学生や高校生の悩みを聞き、時に一緒に前の沼で魚釣りをしたり、ほとりで相撲をとったりして遊んでいます。よく「童心に返って」と言いますが、桜井さん家族は子ども達の純粋な心を大切にしているのだと思います。プロでもアマチュアでも学生でも、隔てが無いのは人を大切に想う気持ちが原点にあるのでしょう。

ある日、秀峰さんはとっておきの楽器を私に吹かせて下さいました。それまでも、いろいろなフルートを吹かせていただいていましたので、どんな楽器だろうとわくわくしたのですが、出された楽器は私の想定を大きく外れていました。なんでも、「吹きすぎた時に使う楽器」との事でした。プラチナや金の楽器を鳴らすためにはそれなりの息のスピードとポイントを捉えた吹き方が必要だと思って吹いていましたので、同じ吹き方をすると鳴ってくれません。それなりの息のスピードとポイントを捉えないと鳴らないので、全音域を鳴らすのに少し時間がかかりました。吹いているうちに余計な力が抜けて、アパチュアが整ってきて楽器が鳴り始めました。大音量は出しませんが、しみじみした味わい深い音を出してくれます。私は「原点に戻る」という体験をしました。

そして、今年になって初めてオーバーホールをしました。新素材のバネ、自家製のタンポに変えてから私のフルートは一度原点に戻り、そして更に飛躍をしようとしています。これも桜井さんがすべてを追求した賜物です。私もフルートを通して人の役に立てるように音と音楽を追求し続けようと思います。

追伸

私は退職後福島県に住んでいるのですが、東日本大震災の後、幸一郎さんの奥様が心配して下さっていたと後から聞きました。桜井家を訪れる方が数え切れないくらいたくさんいる中で、私にも気遣いをして下さるお気持ちがたいへん嬉しかったです。幸い、内陸ですので大きな被災は受けずに済みました。

 

「先生の原風景」

桜井秀峰

「生徒の楽器なのですが、今から見てもらえますか?」

もう何度このお言葉を聞いたでしょうか。お電話の声は恐縮されていらっしゃいますが、生徒の為に何とかしたいという強い気持ちを感じます。近所とはいえない所から雨だろうと雪だろうと車を走らせて来られます。温厚なお人柄の中に感じる熱い気持ち。その気持ちに最大限お応えする事が私たちの仕事です。先生が全力で生徒に向かうのなら、私たちは全力でフルートを修理、調整します。それが他のメーカー製でも同じです。先生はとても恐縮されていますが、私たちにとっては嬉しい事です。

ご自分のフルートを吹く時間を割いてでも来られる先生に、私たちは自分の先生のように尊敬の念を抱いています。そして、私たちの今を知っていただきたく様々なお話をさせていただいています。時には試作したフルートを吹いていただき、感想をお聞きします。

20年ぶりにオーバーホールをさせていただきました。フルートとは、とても丁寧なお付き合いをしていただいているので大きな摩耗や支障はまったくありませんでした。オーバーホール直後は、新品のような鳴りに戸惑いもあったようですが、6カ月点検に来られた時に「私はこの楽器にして良かったと改めて確信を持って言えます。間違っていなかった。」とおっしゃっていただきました。20年後に再び「私のフルート」に出逢う事が出来たのだと想いました。

今は教員の仕事から少し離れてご自分のフルートと向き合う時間を多くしているとお聞きしました。演奏で人の役に立てるようにしたいと。いつまでも、どこまでも、人に夢を与え続ける「先生」なんだなあ、と心が熱くなりました。 私たちも全力でお力添えさせていただきます。

 

ストーリーリスト

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